かたくらシルクホテル

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かたくらの歩み

かたくらの歩み

History

片倉家には
日本はもとより
世界の歴史の中で培われた
数々の史実があります。
それは「かたくらシルクホテル」の
おもてなしにも
いまなお、息づいています。

初代 片倉兼太郎 誕生1829

初代片倉兼太郎生家(岡谷市川岸)

日米和親条約調印1854

明治政府が群馬に富岡製糸場を開業1872

片倉松本製糸場

現在の長野県岡谷市で製糸業開始
父市助と自宅にて「10人繰りの座繰製糸」1873

片倉組を設立

1895

日露戦争1904

今井五介(初代片倉兼太郎の弟)松本商業会議所初代会頭、松本電灯(現在の中部電力)社長就任

1909

第一次世界大戦1914

今井五介、信濃鉄道(現在の大糸線)社長就任、経営難の「松本戌戊学校」を支援し「松本商業学校(現在の松商学園高等学校)」へ

1914

私立片倉尋常小学校(現在の岡谷市立川岸小学校)を開校
二代片倉兼太郎(初代片倉兼太郎の弟) 片倉組を株式会社に改組し社長就任。
海外でも製糸事業を展開

1917

社名を片倉製糸紡績会社とし、全国の総輸出額の約1割を一社で占める。昭和初期のピーク時には日本の輸出の4割をシルクが占め、片倉製糸紡績株式会社のシェアはそのうちの2割にも。
製糸業から不動産、倉庫、保険その他へ事業展開 同族からなる財閥を形成。80数社のコンツェルン

1920

旅行嫌いだった二代片倉兼太郎が北中南米〜欧州へ。
10ヶ月間の海外視察旅行へ。
訪問先で偶然目にした農村の慰安休養施設に心動かされ、地元諏訪での施設開業を志ざす。
自社の社員だけでなく地域の人々にも利益を還元したいと願う。

1922

関東大震災

1923

公共の福利厚生施設として建設した温泉施設「片倉館」開業。竣工式に200人を超える参列者。
金融恐慌の混乱期にも片倉館の建設を推し進める。隣接する敷地内に片倉家別邸 数寄屋造りの離れ「菊の間」迎賓館。地域の人たちの福利厚生のための公衆用に本邦初のクアハウス開業。

昭和初期からは神社等への寄進も 諏訪大社上社前宮の鳥居、本宮の玉垣。
皇紀2600年(昭和15年)には靖国神社鳥居と狛犬を奉納。

1928

日米関係の悪化で対米向け製糸輸出止まる

1935

第二次世界大戦勃発

1939

旧官営富岡製糸場を合併。
片倉製糸の積極経営は戦時経済が強まるまで続く。

富岡製糸場

1939

真珠湾攻撃 太平洋戦争開戦

1941

三代片倉兼太郎(二代兼太郎の長男)を中心に松本女子実業学校(現在の松本松南高等学校)を開校

12月の会議で片倉組より飛行機を二機寄贈することを決定

1941

懐古館(現在の諏訪市美術館)が開設される

1943

終戦 太平洋戦争の終結と同時にGHQによる財閥解体

1945

諏訪湖ホテル(のちの、かたくら諏訪湖ホテル)開業

1948

現在の片倉興産(株)に改称

1952

東京オリンピック開催1964

昭和天皇皇后両陛下ご宿泊

1964

天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)ご宿泊

1992

経済産業省「近代化産業遺産群」認定式
岡谷市にある「旧片倉組事務所」など15件、および諏訪地域の製糸関連遺産として「片倉館」が登録される

2007

かたくら諏訪湖ホテル「菊の間」および迎賓館が国登録有形文化財登録、同時に「片倉館」が国指定重要文化財登録

片倉館

2011

片倉館が映画「テルマエ・ロマエ」の撮影場所に

2014

4月、新生・かたくら諏訪湖ホテル「かたくらシルクホテル」、オープン

養蚕・製糸業を生業とし、財をなした片倉興産は、その富を自社だけでなく地域の発展にも広く活用しました。片倉館が開業した頃には5km離れた対岸の岡谷から慰安に製糸工場の女子従業員の皆さんが船で訪れたこともありました。その想いは変わらず、これからも新しいホテルを通して、地域に愛していただけるおもてなし、環境づくりを展開し地域の皆様へこころ和む、癒しのステージを提供してまいります。

2021